私達は若者にこそ多くを学ばなければいけない
見知らぬ老人に最近の若いもんはと文句を言われた話
ちょうど去年の年初でしょうか?まだコロナが騒がれるちょっと前の頃、私は駅の構内のエレベーターの中で老人に、最近の若者はっ!といきなり罵倒されました。
何を罵倒されたかと言うと、誰も乗っていない(正確に言うとその男性と妻の二人の老人しか乗っていない)エレベーターに私が乗ったことが気に食わなかったようなのです。若者はエレベーターなどのらず階段を歩けと彼は言いたかったようで、いきなり私を睨みつけてきたのです。
2人しか乗っていない20人乗りのエレベーターに何故乗ってはいけないのか謎過ぎて今思い出しても理解不能なのですが、おそらくあの老人が若い頃はエレベーターは年寄りや妊婦や障がい者が使うものでピンピン元気な若者が使うものじゃなかったのかもしれません。
昔から年長者は若者を否定する傾向にある
最近の若いもんは・・・とくると、後半は否定的な文章が来るだろうと大抵の人は思うのではないでしょうか?
紀元前古代ギリシャの哲学者プラトンの書に、最近の若者は人の言うことを聞かんと論じている箇所があるのは有名な話ですが、ほかにも今から5千年も前の古代エジプトのピラミッド遺跡の壁画に、最近の若い者はの表現の象形文字が見つかっているという話もあります。
今も昔も人は年を取ると何かしらの形で若い人の行動を批判する傾向にあるようです。
これは心理学的に、人は自分の過去を否定したくないがために昔の考え方ややり方こそが正しかったと考える傾向にある為、今を生きる若者を否定したくなるのだそうです。あの時私を罵倒した老人も、自分が若い頃は若者はエレベーターなど使わずに階段で行くのが当たり前だった、という自身の過去に対する過剰な肯定があるのでしょう。
若者側にも年長者側にも立ちにくいアラフォー世代
初頭で述べたように、私は老人に若者とよばれて罵倒されたのですが、果たして我々アラフォー世代は若者なのでしょうか?20代の若者が聞いたら笑ってしまうかもしれません。江戸時代なら初老の域です。
実際このくらいの年齢の人は、若者から見れば老害扱いされる可能性も持ちながら、老人から見たら今どきのけしからん若者にも見えるわけです。
若者に学ぶことは沢山ある
我々アラフォー世代は日本の文化的な側面から上の世代には幸か不幸か比較的多くを学んできました。しかし、今確実に言えることは下の世代に学ぶことも沢山あるということです。
日本は余りにも縦社会すぎて、年長者が若者から学ぶという機会が殆どありませんし、学ぶことを恥ずかしがるふしすら有ります。
私がアメリカに住んでいたころ、住んでいたアパート(日本でいうマンション)の住人だけが使えるパソコンが数台あったのですが、いつも若者を適当に捕まえてパソコンの使い方を聞いてくるお婆さんがいました。とてもフレンドリーなお婆さんでよくお礼にと言ってチョコレートなどをくれたのを覚えています。
日本でいう威張った年長者という雰囲気ではなく友達の様な接し方をするお婆さんで、いつも若者から何かを学ぼうという姿勢が強くあり、自分もこんな老人になりたいなと思ったものです。
何故若者から学ばなければならないのか
時代はものすごいスピードで変化している
インターネットは私が大学生の頃位から急速に普及してきました。もう20年ほど前になりますが、その20年で携帯電話が普及し、スマホに移行し、使えるデータ量も爆発的に増え、データは今やいくらでもクラウドにおくれる時代になりました。
30年ほど前を思い浮かべると、ファミコンが出てきたり、ポケベルが普及したりと緩やかな変化ですが、20年前のインターネットの出現辺りから時代は加速度的に変化してきています。
デジタルネイティブとアラフォーの違い
私のようなアラフォー世代が先代よりもより一層若者に学ぶ姿勢を持たなければならないのは、私たちの世代に突如現れたこの加速度的に変化するデジタルというものに対して我々がネイティブではないからです。
英語などの語学を真剣に学んだことがある人なら一度は感じたことがあると思いますが、生まれながらにその環境下にいたネイティブとそうでない学習者との間には越えられない壁があります。インターネットの出現により世の中は確実に加速度的に変化しています。のんびりと今までのように年長のものだけに学んでいてよい時代ではありません。理解している者から理解していない者が学ぶというシンプルな構造で貪欲に時代の変化を学んでいかなければならないのです。
デジタルネイティブ(Z世代)といわれる彼らは1996年から2012に生まれた人々を指します。ここには私の娘も該当します。子供ほど離れた年齢の彼らに我々は自ら学ぶべきものは学ばなければならないのです。
学び続けながら10年~20年後を想像しよう
15年前は大した差では無かった実母と義母
15年ほど前でしょうか?私が主人と婚約したばかりの頃、コンビニで買い物をしていた時に義母がケータイに貯めていたポイントで缶コーヒーをおごってくれたのですが、私はその時強い衝撃を受けました。
当時はおサイフケータイやポイント制度が始まったばかりの時期で、若者の間でもそれらを使ったり詳しく理解している人は少なかったのです。
特に私の実母が恐ろしく新しいテクノロジーに疎い人であったために、親世代でそれを理解し、上手に生活に取り入れている義母を見て私は本当に驚いたのです。
それから15年の月日が流れ、義母と実母の差は越えられないレベルにまでなりました。義母は私とほぼ変わらないデジタルリテラシーを持っていますが、実母はまともにスマホも使いこなせないレベルです。新しいものを学び続ける人と学ぼうとしない人では今の時代は取り返しのつかない差が開いてしまうのです。
学び続けなければ確実に社会のお荷物となり情報弱者となる
私の実母は写真を送ると言ったらプリントアウトして郵送してくれというし、書類を送るにもコンビニからFAXしなくてはいけません。
Go to トラベルなどネット予約必須なものは子供に電話して予約をお願いしたりするほどです。
お願いできる身内がいる人はまだ良いのですが、頼む人もいない学ばない年寄りは確実に社会の荷物となり情報弱者になります。
まとめ
いつの時代も年寄りは若者を否定する傾向にあります。それは自分の若い頃を否定したくないための心理的行動と言われています。
時代の変化が緩やかな頃は、若者が年長者から学ぶというシンプルな学習システムが成立したのですが、インターネットが世に出てから加速度的に変わる現代において人は年齢に関係なく、知る者から知らない者が学ぶという学習姿勢に変わるべきだとおもいます。
実際デジタルネイティブから学ぶことは多く、年齢など気にせずに学ぶ姿勢を持ち続けなければ変化の激しい時代に取り残されてしまいます。
人生100年時代に突入した今、100年学び続けるつもりで年を重ねていきたいと思います。