娘の4歳の誕生日会
前回アメリカでの娘の3歳の誕生日会について書きました。今回は4歳の誕生日会について書こうと思います。
クラスメイトの誕生日会
ワシントンDCに駐在して1年9か月ほどたった9月上旬のことです。子供(娘)が、嬉しそうに言いました。「今日ね、ジュリアンナが私にAre you my friend?って聞いてきたからYesって答えたの。だからジュリアンナはもうお友達なのよ。」
それを聞いた私はとても嬉しく思いました。何故ならこの数週間前にずっと仲良くしていた日本人の女の子が他州に引っ越してしまい、娘はとても落ち込んでいたからです。このジュリアンナと言う女の子はハイチ地震の孤児からDCの裕福な白人家庭の養女となった子で、まだ米国に来て1年半位だったため娘と英語力が近かったのでしょう、比較的簡単な会話で仲良くなることができたようです。私は娘のこの話を聞いて心の底から安心したのです。
しかし私の喜びはこの日の週末に打ち砕かれました。
招待されなかった誕生日会
近所の大きな公園に遊びに行った時のことです。運よくこの時娘は夫の腕の中で寝ていて気付いていなかったのですが、私たちが公園を歩いているとクラスメイトのレイチェルのママが通りかかり、私に「もう帰るの?会場はこっちよね?」と聞いてきました。私は何のことかわからずに、「疲れて子どもが寝たから帰るの」とだけ答えました。その後、偶然遠目に見て気づいたのですが、ジュリアンナの誕生日会が公園内で行われていてクラスの殆どの女の子が参加しており我が家は誘われていなかったのです。
私は本当にショックでした。自分のことならあまりに気しないタイプの私ですが、ほんの2日前の娘との会話が頭の中をぐるぐると周り言葉が出ませんでした。
これは人種差別?私は違うと思った
後日そのことを日本人の友達に話しました。ある人は、それは恐らく人種差別だと思うから抗議した方がいいと言いました。またある人は私だったら居づらいから幼稚園を替えるといいました。普通はクラスメイト全員を呼ぶのがアメリカのマナーなのに誰かを省くなんて本当に感じ悪いよね、と言うのが皆の一貫した意見でした。
幼稚園を替えるという選択肢は私にはありませんでした。何故なら娘が頑張って通ってようやく友達を作った幼稚園です。おそらくジュリアンナが娘を呼ばないでと言ったとは考えられないので、親が居づらいからといって幼稚園を替える理由などないと思いました。ではこれは人種差別なのでしょうか?私はこれも何となく納得ができませんでした。人種差別者がハイチ地震の孤児を養女にするかしら?インド系の子も会場にはいたし、そもそもクラスの殆どの女の子はいたけれど男の子はいなかったし全員呼んだわけではなさそうでした。考えられる理由はシンプルに一つでした。私がジュリアンナのママと交流が無いことです。そうだ、これは恐らく私のせいなのだ…と私は強く自責の念に駆られました。
私は自他ともに認める社交的な性格です。しかし何となく幼稚園で積極的にアメリカ人のママ友を作ることに躊躇していました。軽い会話はできるけど深い話ができないかもしれないとか、暇ならPTA役員をして、とか言われたらどうしよう?とか無駄な心配をして1年以上も長きにわたり日本人のママとばかり交流していました。軽い挨拶しかしたことのないジュリアンナのママが私のことを英語の喋れない内向的な親だから誕生会に呼ぶのは難しいだろう?と判断しても何もおかしくないのです。
アメリカ式の誕生会を開こうと決心
幸か不幸か9月の下旬は娘の4歳の誕生日でした。当初は今年も日本人だけで誕生会をして幼稚園での誕生会は園にカップケーキでも持っていって手軽に済ませようと考えていました。しかし私は一念発起して急いで娘の誕生会をアメリカ式ですることを決めました。ジュリアンナを誘っても来てくれないかもしれない、でも相手を批判するのはその後からでいい。とにかくこちらから歩み寄らねば何も始まらないと思ったのです。
アメリカ式誕生会の一連の流れ
今まで誘われたことはありますがアメリカ式の誕生会を自分で行うのは初めてです。色々調べたところによるとオーソドックスなやり方は誕生日の数週間前に幼稚園の先生を通じて全員に誕生会の招待状を送ります。送られたほうは出欠の返信を書いて園の先生がそれを親に渡してくれます。その人数で会場を予約して会を執り行うのです。
今まで呼ばれた会は室内アスレチックジムを貸し切って行われたり工作教室を貸し切って行われたり、個人の家で行った場合はシンデレラの格好をした雇われたお姉さんがあらわれて皆にお菓子を配ったりしていました。プレゼントを渡したらピザなどの軽い食事とケーキを食べ、皆楽しく遊んでから帰りに参加者全員に小さなギフトが配られるというのが一連の流れです。
会にかかる費用はだいたい一人当たり20~25ドルで、呼ばれた側のプレゼントの相場もそのくらいです。我が家は娘の希望でPotteryPaintingのキッズバースデープランを申し込みました。PotteryPaintingとはコップなどの白い陶器に子供が好きな色を塗りその作品を後で焼くというものです。焼いた作品を後日プレゼントできるという点にも惹かれました。
招待状をクラスメイト全員に渡した
全てを計画した後、ドキドキしながら招待状を幼稚園の先生に渡しました。驚いたことに一番に出席の返信をくれたのはジュリアンナのママでした。
彼女は私に駆け寄り、ジュリアンナがとても楽しみにしているわ必ず行くわね、と念を押しました。もしかして私があの日あの公園にいたのをレイチェルのママに聞いて気にしてくれていたのかな?ふとそんなことを思いました。当日も一番最初に会場入りしてくれたのは彼女でした。招待状の返信は皆がきっちり期日前までに渡してくれ、参加者も女子全員に男子7割と上々で、会は大成功に終わりました。
誕生会を企画して・・・
私がある程度英語が喋れると気付いたジュリアンナのママはその後も積極的に話しかけてくれ、ホームパーティに誘ってくれたりこちらもアパートのプールでプールパーティを開いたりと交流が続きました。私は今でもあの時、「それは人種差別だ」と友人に言われた一言を疑って本当に良かったと思っています。彼女は人種差別主義者とは程遠い人だったからです。
人を疑う前に自らを改善し、前に進むことで多くのことが見えてきます。私がアメリカ生活を本当の意味でエンジョイできるようになったのは、この誕生日会事件がきっかけだったように思います。